ありがとう、さようなら

伯母のサヨコが逝きました。

この記事を書き始めるまでに、半月ほど経ってしまいました。

最後のその日は、もうお別れの兆候がいくつもありました。

昼に訪問看護師さんが来てくれましたが、体温も血圧も血中酸素も測れませんでした。
血液が手足の末端に行かなくなっているので、手足は冷たく、チアノーゼ(鈍い赤紫色)になってきていましたし、喘ぐ(あえぐ)ような呼吸でした。

夕方6時半は、ヘルパーさんの訪問。
一緒に、おむつ交換やワセリン、ローションなどを肌に塗りました。
その時はより一層、今にも止まりそうな呼吸でもありました。

翌日も、朝の7時にヘルパーさんが来てくれる予定でしたが、「もしもの場合はご連絡します」と、ヘルパーさんに予め伝えておきました。

伯母の意識はなく、不規則な喘ぐような呼吸。
ずっと伯母のベッドの横で手を握り、声がをかけながら、最後の呼吸を見届けました。

「あ」という声とともに息を吐き、小さく2度息を吸って、呼吸が止まりました。
午後7時44分。(死亡診断書の時間は、医師が来て確認をしてからなので、もう少し後になります)
ヘルパーさんが帰って、40分後くらいでした。

深夜でなく、また通常の医院の診療時間も終わっていた時間でしたので、訪問看護師さんも、往診の医師も、程なく来てくださいました。
お医者さんに死亡確認をしていただき、死亡診断書が記入されました。

訪問看護師さんが死後のエンゼルケアをしていただいている間に、葬儀社に連絡。
その日の夜11時には、ドライアイスを持ってきて打ち合わせをしてくれることになりました。

看護師さんが、死後の身体の処置、口腔ケア、顔のスキンケア、メイクまで丁寧にしてくださり、本当に美しい顔でした。過去最高に美しい顔でした。

まるで弥勒菩薩の微笑みかのようでした。本当に。

その後の葬儀までは、何もかもがスムーズで、葬儀もこちらの希望通りに葬儀社が取り計らってくれました。

亡くなる時をも、伯母が私に気遣ってくれたのかと思うばかりでした。
すべてを振り返っても、伯母への言葉や気持ちは、「ありがとう」に尽きるほどです。