病院での孤独な時間。意味があったのか?

伯母サヨコ。私の亡き父の姉で89歳。認知症が進んできている。元は、美容室を長年経営してきた美容師。身寄りがいないため、姪である私が死後までの一切のお世話や手続きなどを託されている。住み慣れた大阪を離れ、私の住む神戸へと移ってきた。最初は向かいの家でスープの冷めない距離に住んでいたが、家の前の坂で転倒、骨折入院。その後、介護老人保健施設を経て、現在はサービス付高齢者住宅に住んでいましたが・・・

サ高住(サービス付き高齢者住宅)を、入院のため退去することになった伯母のサヨコ。
病院は精神病院ですが、療養型といわれる棟に入るため、行動は比較的自由との説明でした。
回廊型の廊下になっているので歩行器で歩きたいだけ歩けると。
サ高住では、伯母は自室からダイニングまでのまっすぐな長い廊下を、歩行器で一日に30、40往復、時にはそれ以上、「徘徊」していたそうです。
伯母曰くは、「足腰が弱らんように、運動している」でしたが。

手続きと、事前の検査を受けると、レントゲン技師の方が、やや血相を変えてやってきました。
「肺炎の疑いがあるので入院できません。」

・・・

伯母は、元々、慢性的な肺炎で、喘息もあり、完治していますが過去には結核もしています。
かかりつけの医師には、「肺が焼野原ですね」と表されたくらいです。
このコロナ渦でもあるので、とても大げさに取られてしまったのは、残念ながら仕方がないのかとも思われますが、ここで瞬時に、「では入院は結構です」と言えなかった自分にも後悔はあります。
ただ、その時点では、自宅介護の準備も覚悟もできてなかったのは事実です。

結局、1泊だけその病院に滞在し、翌日には転院となりました。
以前に、伯母が骨折で入院したことのある病院でしたが、私とゆっくり話す間もなく、すぐさま、PCR検査(コロナの検査)やその他もろもろの検査がなされ、、伯母にとっては苦痛でしかなかったと思います。
検査結果が出るまで個室で隔離。
その後は、他の感染症がないかの検査結果が出るまで絶食。

その病院も面会ができず、1週間ほどしてオンライン面会をしたものの、伯母はベッド上で眠ったままでした。
その後、食事が出されるようになりましたが、伯母は一切拒否。
栄養点滴をされることになりました。

私は、自宅介護の準備を進め、退院の意向を伝えました。
肺関連の治療はまったく何もなかったのですが、担当医師は「食事をまったく取らないので、このまま家へは帰せません。」と2回ほど言われました。
このままでは会えないまま病院で死んでしまうと思ったので、3回目に退院の意向を伝えた時には、「このまま病院で死んだら後悔する。自宅でたとえ少ない日数でも一緒に暮らせたら、まだ後悔は少ない。」と、強めに伝えました。

何とか退院の運びとなり、
事前に、これはありがたかったのですが、看護師さんが4回ほど、おむつ交換、体位交換、口腔ケアなどの練習をさせてくれました。

私の自宅に帰ってきたのが、8月2日。
病院には、6月24日から8月1日まで入院し、結果は、寝たきりとなってしまいました。
感染症もなく、肺疾患の治療は特に何もなく、結局、弱らせるために入院させてしまったようなものでした。