お役目交代、そしてこれから

伯母サヨコ。私の亡き父の姉で89歳。認知症が進んできている。元は、美容室を長年経営してきた美容師。身寄りがいないため、姪である私が死後までの一切のお世話や手続きなどを託されている。住み慣れた大阪を離れ、私の住む神戸へと移ってきた。最初は向かいの家でスープの冷めない距離に住んでいたが、家の前の坂で転倒、骨折入院。その後、介護老人保健施設を経て、現在はサービス付高齢者住宅に住んでいる。

1970年に開催された大阪万国博覧会、通称「大阪万博」。

サヨコさん(左側)と私の母と、ちびスケは私。ほぼ記憶はないけれど、動物の着ぐるみが怖くて泣いたのは、自分の記憶なのか写真を見たからか?(そういう場面の写真がある)

小さい頃は、2ヶ月か3ヶ月に1回は母に連れられ、サヨコさんの所に遊びに行っていたようだ。サヨコさんが経営する美容室の近くにおもちゃ屋さんがあり、ぬいぐるみとかおもちゃをよく買ってもらっていた。

そして、私は髪を伸ばしたいのに、母のリクエストにより、短い髪型をサヨコさんにオーダーされ、いつも短髪だった私。しょっちゅう、「坊っちゃん」とか「僕」と、私のことを知らない人からは、言われていたものだった。

(言っても仕方ない。言っても聞いてもらえない。···という思い込みはこういうところから入ったのではないかと思うのです。現在は解消されてますけど。)

子ども時代には、お世話になったサヨコさん。

時は巡り、今は私がサヨコさんの車イスを押している。いつまで一緒にいられるかな、と終わりかけの桜を見ながら、しみじみとしてしまう···